憲法記念日にあたり、施行から66年を迎えた日本国憲法の意義を再確認したいと思います。
昨今、憲法96条改正により、憲法改正をし易くすべきといった議論が見られます。論議の中で制定以来、一度も改正していないことを挙げ、改正することが改革であるといったイメージづくりも見受けられ、改正する事自体が目的化されていると感じています。
郵政解散総選挙後、衆院定数480議席の2/3にあたる320議席を上回る与党327議席となった小泉政権で強行採決された障害者自立支援法は、後に違憲訴訟が起き、政府は原告団との間で基本合意を交わし、和解、そして障害者総合福祉法への改正へと向かいました。
採決当時、この法律制定に多くの議員とともに障がい当事者並びに関係団体も反対していましたが、郵政民営化法案と同じ日に採決されたためか、殆ど報道もされないまま、成立しています。
多数を持っていれば、どんな悪法も採決成立されてしまいかねないという怖さを知りました。
違憲訴訟での基本合意、和解へとむかうまでの間に、この法律のもと厚労省の施策はすすみました。総合福祉法へと改正は致しましたが、違憲訴訟での訴えの論拠を払拭するには至っていないというのが現実ではないでしょうか。
それでも私にとっては、憲法があったからこそ、国会の過ちを正す手段が国民にあるのだと憲法の存在を実感した一件でした。
この事からも憲法には政府の権限、権力を制限し、また責務を課すといった、重要な意義があります。すでに国民投票の成立は過半数としており、96条改正により国会議員の過半数で憲法改正の発議が可能になる事は、時の為政者の都合に合わせた改憲が行い易くなることとなりかねません。
また、国会議員の2/3以上という発議要件は日本が突出して高い要件というわけでなく、米国をはじめとして同じハードルを設けている国も多数あることは、意外なほど語られていない点です。
国会では、 憲法の国民主権・基本的人権の尊重・平和主義・国際協調主義の原則の下で、日々新しい法案を審議したり、過去に制定された法案の改正などが行われていますが、憲法の基本理念・原則を大切にしつつ、66年前にはなかった諸問題、国際的平和活動や、緊急事態への対処などをふまえ、日本の向かうべき方向を再確認する事が重要です。また、憲法判断を行う独立した機関としての憲法裁判所の設置も検討していくべきだと思います。
単に「憲法を変えやすくする」ということと、何のために、どのような国を実現するために、どのように「憲法を変える」ことが必要で、目指していくのかという事は区別しなければなりません。
また、憲法改正議論の際に地方分権・地域主権のありかたとしての道州制あるいは国と基礎自治体の二層構造への移行実現のために改正も必要になるのではないかといった論調が見受けられることがありますが、地方自治の在り方について現憲法では細かな規定はされていませんので、地方自治法の中で定めれば充分であり、憲法改正しないと道州制などを実現出来ないという意見には違和感があります。
憲法記念日を機会に、多くの皆さまが憲法の意義について、自分自身の言葉で語られるような国になることを願います。
そして私自身も、改めて、国民を守る基本法としての憲法が、その役割をしっかりと果たされるよう努めていきたいと思いを強くしています。