宮城県被災地訪問報告

こみやま泰子

 ゴールデンウィーク後半、民主党本部からの派遣により宮城県気仙沼市で避難所でのヒアリング調査を行いました。
 また、ヒアリングからの帰路、南三陸町と石巻市にも立ち寄り地元の方々のご意見等を伺って参りました。
 気仙沼市でのヒアリングでは、避難された方々から多くの貴重なご意見を頂きました。避難所の状況は刻々と変化し、支援物資との現場のミスマッチや仮設住宅の早急な建設への要望、政府のメッセージの出し方の問題、既存の法律では対応しきれない部分への対応、自身も被災者でありながら休みなく避難所での対応する職員の健康状態、汚水処理など課題が山積しています。
 南三陸町へは元衆議院議員の鎌田さゆりさんと、延期になった統一地方選挙立候補予定の高橋さんが、医療関連ボランティアの確認等に行くのに同行させていただきました。
 私と同い年の鎌田さゆりさんは、女性候補支援組織「WINWIN」から初めての国政選挙推薦を頂いた関係から知り合い、私が衆議院議員に初当選後、宮城県立子ども病院の視察をアレンジしていただくなどお世話になっています。
 前日に訪問した気仙沼市で目にした津波被害も言葉で言い表せないほどでしたが、南三陸町、石巻市も途方にくれてしまいそうな壮絶な被害でした。
 鎌田さんが二週間ほど前に南三陸町、石巻市に行ったときは、大変な渋滞だったそうですが、ゴールデンウィーク最終日で、ボランティア減少を実感できるほど、道は空いていて予定より早く南三陸町に到着。波にさらわれた庁舎跡などを見せていただきました。
 町が波に流され平らになっている事、高台は建物が無事であったり、津波警戒する表示板の先にまで津波の痕跡が残るなど映像以上の現実が目の前にありました。
 南三陸町では、避難所になっている青年の家、地元の方、さらに佐藤町長のお話を伺いました。
 多くのボランティアを受け入れ、町長の素早い決定により、復旧復興に向かい動いている点には、国の災害対策に参考になる郷土を育みむ責任ある首長の心意気と責任感を感じました。
 石巻市では、日本青年会議所1998年NPOでつくるコミュニティ推進委員会でご一緒した木村美保子さんに会いました。まだまだ瓦礫撤去が進んでいない市内と石巻経済を支えていた工場・沿岸の港の工業地帯を案内してくださいました。
 車窓を開けると気仙沼市で嗅いだ以上に魚の腐ったような異臭が勢いよく入ってきました。巨大な大和煮缶詰のオブジェが4車線ある道の分離体へ流されていたり、海岸線からは遠いエリアには商店街があったと教えられなくては分からない程、津波がすべてをのみ込んでいました。そのなかで自衛隊員の方々が黙々と遺体捜索を続けていると教えられました。
 訪問させていただいた各地共通して、梅雨時、そして夏に向けてハエの大量発生、感染症など衛生状態が心配していると話が出ていました。
 衛生面に関しては緊急性高いものとして党の報告書にも指摘、提言いたしました。
 木村美保子先輩も佐藤町長も多くの被災地の方々とお会いし、皆さんがいま出来ることに実直に向き合い、そしてこの震災を風化させず、長くなるであろう復興に対し現実を多くのかたに知っていてほしいとの思いを持ちながら、「前向きに未来に向け生きている。」ことに感嘆いたしました。この思いに応えていきたいと思います。
 また店舗が流れてしまった方が、自分のお店があった場所に大きく「がんばろう!石巻」との看板をつくり鯉のぼりを元気に泳がせているのを見ながら、人間の非力さと、強さの両面を教えられた気がしました。
 相当に長い時間がかかるかもしれないそれぞれの地域の再生を通じて、より一層魅力ある東北を、より一層活力ある日本を築きあげていけるよう、ご一緒にがんばってまいりましょう!

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